1992年に、当時熊本県知事を退任したばかりの細川護煕が設立した政党。
新進党に合流し、現在は存在しない。
なお、2005年に結成された新党日本と名称が似ているが、全く別の政党である。
「無党派層」の圧倒的支持を受け、新党ブームの火付け役となった。それだけでなく、新生党・新党さきがけなどと共に、自民党に批判的な保守層・中道層を取り込んだ。
1993年の宮沢内閣不信任後の総選挙で大勝し、非自民・非共産の八党連立連立政権の細川護煕内閣が誕生。
自民党及び社会党の二大政党が中心の「55年体制」が崩壊した。
細川内閣総辞職後の羽田内閣でも新生党などと連立するが、社会党との軋轢で連立が解消され、羽田内閣は総辞職し、自民党、社会党及び新党さきがけによる村山内閣が成立した。
その後、解党し、所属議員は新進党に合流した(若手議員の一部は離党してグループ青雲や民主の風を結成してのちに新党さきがけに合流した)。