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樋口季一郎

(一般)
ひぐちきいちろう

昭和期の陸軍軍人。 1888年 - 1970年。

ハルピン特務機関長だった1938年(昭和13年)3月、ナチスドイツの迫害から逃れるため、シベリア鉄道で移動したものの、満洲国との国境付近で入国できず足止めをくっていたユダヤ人難民に対し、部下の安江仙弘らと計らい、オトポール駅まで特別列車を派遣し満洲国へ入国させた。


この措置は友好国であるドイツから強硬な抗議を受けたが、樋口の態度は変わらず、東條英機や松岡洋右らも結果的に追認、日本国も満州国もその措置に変更はなかった。
(杉原千畝がリトアニアで、通過ビザを独断で発行する二年前。日本の態度に変化があったのか無かったのか、またその理由などは各種の議論がある)



その後、樋口は参謀本部第二部長をへて、太平洋戦争時は北方軍を指揮。
戦史上の奇跡とも言われるアリューシャンのキスカ島守備隊撤退を提唱した。
逆に、日本がポツダム宣言を受諾して以降にソ連軍が北海道占領を狙い兵力8000人で占守島を侵攻した際は、武装解除を一旦停止しての反撃を指示。戦いは8月22日まで続き、ソ連軍は日本軍より遥かに大きい3000人の死傷者を出し、侵攻も同島で食い止められた。



現在、エルサレムの丘にある本の形をした黄金の「ゴールデン・ブック」に安江仙弘大佐と共に名が刻まれている。

【参考】
http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/seigi/seiginohito2.htm


http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog085.html


http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog086.html

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