中国後漢の人物(生没年不詳)。後漢の益州牧の劉焉の子(三男)。劉範・劉誕の弟。劉璋の兄。
劉焉には子が4名いたが、益州入りしたときに伴った子は劉瑁のみである。
劉焉は元々、益州で自立する野心を持っていたが、あるとき、呉懿の妹に「高貴の相がある」と聞き、彼女を劉瑁の妻に迎えた。
劉焉の跡を継いだ弟の劉璋が荊州に進出した曹操に使者を送って誼を通じ、振威将軍の官位を得たとき、劉瑁も曹操により平寇将軍に任命された。まもなく劉瑁は精神病を患い亡くなったという。
未亡人となった妻は、後に劉璋を下して益州を手に入れた劉備の後妻となり、後漢の滅亡後、蜀の地で漢王朝を再興した(蜀漢)劉備が皇帝に即位すると皇后となり(穆皇后)、予言は成就された。