◆鷲田清一の「折々のことば」で、石牟礼道子の『苦海浄土』の一節が紹介されていました(2024.6.23)。水俣病になってしまった方のことばでした。 ◆石牟礼道子を深く尊敬してきましたので、あえて述べておきます。 ◆鷲田は『聴きたいと願う人にしかその「心ぼそか」思いは届かない』と書いていたのですが、はたしてそうでしょうか? 人間や社会には、さまざまな微妙な回路があります。特に聴きたいと願わなかった人にも、思いが偶然届いたりする場合もあるのですが。 ◆また、「文学作品『苦海浄土 わが水俣病』から」とありましたが、なぜ「文学作品」という枠に入れてしまったのでしょうか? ただ「『苦海浄土 わが水俣病』…