『夢声戦争日記』の昭和二十年八月十四日のの末尾は、こうなっている。 「この放送は翌日の三時迄続いた。放送員は最後にしみじみとした調子で、 ~~さて皆さん、長い間大変御苦労様でありました。 とつけ加えた。私もしみじみした気もちでスイッチを切つた。」 その日も朝七時半までに、B29 が二度上空を通過した。高射砲の音が轟くが、命中するはずもない。B29 は印旛沼方向へ去ったが、音はやまなかった。八時半にまた警報が鳴り、相模湾から一機やって来た。 昼食時には家族が額を寄せて、深刻な相談となる。「いよいよ大変なことになるんですって。死ぬなら親子一緒の方が好いかしらん。」疎開中の息子を呼び寄せるべきだろう…