👆 夕食はベトナム料理の食堂で牛肉フォー 自我は、聖霊が愛をこじらせた姿に過ぎず、 元々は聖霊と同じものだった、という話である。 なので、僕の場合、自我を手放す、というより、 聖霊(正気)に戻す、という感覚の方が強い。 自我に気づき、自我を認識したら、 それは愛が裏返った聖霊なんだと理解することで 自我は元来の愛の姿へと変容を起こし、 聖霊となって僕の背後へと還ってゆく。 そうやって、自我を聖霊と同じ愛の存在だとして 認識できてくると、見えるもの、聞こえるもの、 触れるもの、起こってくることなど、たとえそれが、 どんなに忌み嫌うようなものであっても、全てが 聖霊(神)でしかあり得ないと理解でき…