紀元前7〜1世紀、現在のイタリア共和国の中部を中心とした地域の呼称。主にエトルリア人の居住した地域を指す。
都市国家ローマの台頭以前までイタリア半島内の諸民族領のなかでも広範囲を占め、紀元前5世紀ごろまで西地中海域の覇権をカルタゴ、ギリシアの2大勢力と争った。勢力の直接支配地域は北は現在のボローニャを中心としたエミリア・ロマーニャ州から、南はポンペイのあるカンパーニア州にまで及んでいたことが、考古学的に証明されている。交易などによる間接的な痕跡は、現在のスペイン南東部沿岸からレバント地方、フランス中部にまで及ぶ。
12の主要都市国家が宗教上ゆるやかにむすびつき、祭祀などを行うことによってその統一性を保っていたと考えられる。
各都市国家が、かつての支配都市国家のひとつローマに各個敗れていくにつれその勢力を縮め、紀元前1世紀にはローマと同化した。
しかしながらトゥルスコイという当時の呼称は、現在のトスカーナに引き継がれている。
エトルリア文明―古代イタリアの支配者たち (「知の再発見」双書)