1986年レッドカーテン結成。翌年改称して現名称になる。
1988年から1990年にかけては、田島貴男がピチカートファイヴを兼任しながら、ライヴを中心に活動。1991年メジャーデビュー。
東芝EMI所属時はメンバーの入れ替わりが激しかったが、ポニーキャニオンへ移籍してからは田島貴男の個人ユニットに収斂した。スタジオでは曲ごとに最適なミュージシャンを自由に集め、ライヴツアーでは比較的固定したメンバーを揃えている。
田島の貪欲な音楽性により「アルバムごとにスタイルを変える」というスタイルになってしまっているため、ジャンル分けは難しい*1。
渋谷系の代表格と言われたこともあるが、肉体性を前面に押し出すスタイルは、渋谷系のなかでも異色の存在だった。「渋谷系御三家」*2の中で唯一現存しているのは皮肉でさえある。
「接吻」「朝日のあたる道」「プライマル」