サッカーの堀江忠男は、同じくサッカーに出場した東京帝大の種田孝一と、帰りの船の中で「もうすぐ鉄と血の時代が来そうだな」と話し合っていたが、それは予想以上に早くやって来た。翌年には中国との戦闘が本格化し、さらにその翌年には東京大会の中止が決定された。ベルリン大会の元代表選手たちも戦地に送られはじめ、一九三九年には陸上百メートルの鈴木聞多が華北戦線で戦死、一九四一年には棒高跳びの大江季雄がルソン島上陸作戦において戦死、というように次々と戦死者が出てくるようになった。(沢木耕太郎『オリンピア1936 ナチスの森で』新潮文庫、1998) こんにちは。昨日、一昨日と県外出張でした。これでコロナに感染した…