Gene Tierney
アメリカの映画女優。
1920年11月19日、ニューヨーク市ブルックリン生まれ。本名ジーン・イライザ・ティアニー。父は保険仲買人、母は元体操教師。
1926年、一家はコネティカットの大地所に転居。
15歳でコネティカットの高校を卒業後、2年間スイスで過ごす。
1936年、フランス語のみが使用されるローザンヌのブリヤンモン・インターナショナル・スクール女子部に入学。
1938年に帰国、コネティカットのフェアフィールド・カントリー・クラブで社交界デビュー。
1939年、ブロードウェイ・デビュー。ウォーナー社とコロンビア社から誘われ、コロンビア社と半年契約。
フリッツ・ラング監督のテクニカラー西部劇『地獄への逆襲』(1940)で映画デビュー。ただし撮影されたのは、ポール・ムニ主演の『ハドソンズ・ベイ』Hudson’s Bay(1940)が先だった。
彼女の交際相手にはザナック、ハワード・ヒューズ、エディ・アルバート、ミッキー・ルーニー、ルディ・ヴァレー、デジ・アーナスらがいた。
1940年末、ファッション・デザイナーのオレグ・カッシーニと出会い、1941年に電撃結婚。
『天国は待ってくれる』(1943)撮影中、ティアニーは妊娠に気づくが妊娠一月目に風疹にかかる。長女ダリアが1943年10月15日に誕生するが、母親の風疹感染が原因で、視力、聴力、発語障害に加え、知恵遅れになったと判明。介護を必要とするダリアはペンシルヴァニア州ラングホーン・ボディ・セラピー学校に預けられた。
『ローラ殺人事件』(1944)でティアニーは大スターとなる。
『呪われた城』(1946)出演後、未来の大統領ジョン・F・ケネディと出会い、デートを重ねた。ケネディは夫と別居中の彼女との結婚を望んだがカトリックのケネディ家は夫のいる彼女との結婚に難色を示し、二人の短い恋は終わった。
1950年代以後の映画出演作はあまり評価されていないが大物との恋愛は続いた。
アルゼンチンで長期撮影中、女優リタ・ヘイワースと離婚したばかりの大富豪アリ・カーン王子と出会い、交際を始めた。帰国後の1952年2月に離婚したがアリの父アガ・カーンは息子が再び女優と結婚することを許さず、1954年、この恋も終わった。1960年、アリは事故死する。
1955年、精神を患ったティアニーはニューヨークのアパートで母親と次女ティナと同居しながら、コロンビア長老派教会医療センターで電気ショック療法を受けた。だが治癒せず、たびたび精神病院に入院した。
1958年、女優ヘディ・ラマーの夫だったテキサスの石油王W・ハワード・リーと知り合い、1960年に再婚、テキサス州ヒューストンでの新生活を始めた。
1962年、オットー・プレミンジャーは『野望の系列』にティアニーを出演させた。彼女にとって7年ぶりの映画への復帰だった。
1963年には、『欲望の家』で髪をグレーに染め、老け役に初挑戦した。
1991年11月6日、ヒューストンの自宅で肺気腫のため亡くなった。
主な映画出演作: