デットマール・クラマー招聘 ローマ五輪予選では韓国の前に敗退を喫し、他の国際試合でも日本代表チームは芳しい結果を残せずにいた。東京五輪での成績次第では日本サッカーの衰退に繋がりかねず、代表の強化は日本蹴球協会の至上命題となっていく。 ローマ五輪予選開催中から翌年1月にかけて、蹴球協会で代表強化に関する話し合いが行なわれ、外国からコーチを招くことで意見が一致。協会の決定を受け、野津譲会長は、指導者の勉強で西ドイツ留学が決まっていた成田十次郎にコーチ探しを依頼する。 成田は西ドイツサッカー協会の紹介でデュイスブルグのスポーツ大学へ赴き、そこで協力を仰ぐと、「ドイツサッカーの父」と言われたゼップ・ヘ…