2020年4月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 「セルフ特派員になろうかと」。先日、高校の山岳部の先輩と会ったとき、そんなことを口にした。これは自分の造語だ。それまでこんな言い方はしなかったのに、リタイアしたあとのことを問われたとき、さらっと「セルフ特派員」という言葉が出てきたのだ。 こんな話だ。私は過去31年の記者生活のうち32歳の年のメキシコ留学の1年を含め14年半を海外特派員として過ごしてきた。それ以外では、エンジニアを辞めて27歳で新聞記者になった直後に長野市で2年、そして大町市で1年、さらには震災後の1年を福島県の郡山市に駐在した。知り合いが誰もいない土地に入り…