善や美などもっとも大切なことについて「知らない」(不知)という自己のあり方を自覚しながら、知を求め続けることでより善く生きようとすること、それが「フィロソファー」(哲学)であり、私たちのだれもが追求すべきあり方である。 「プラトン 理想国の現在」 納富信留著 P.105 おとなはランベルト君のようにキャラメルをもらってもチップをもらっても、そんなことではよろこばない。働くよろこびも評価されるうれしさもあるが、それだけでは気持ちが晴れないのだ。あれやこれやで心が占められ、一日じゅう何かを考えてしまうのである。子供の先はおとなだが、おとなの先はない。波止場どまり。そこからは茫洋とした海が見えるだけ…