西ドイツの通貨改革に端を発した東西危機。ソビエト連邦政府が西ベルリンに向かう全ての鉄道と道路を封鎖した。
1948年6月24日〜1949年5月12日
第二次世界大戦後、ドイツそのものと同様に首都ベルリンもソ連の占領する「東ベルリン」と米英仏の占領地域「西ベルリン」に分かれた。西側3カ国とソ連とがドイツの今後について対立があったが、1948年6月18日に西側占領地域で通貨改革を行うと宣言、これに反発したソ連側がソヴィエト占領地区の飛び地である西ベルリンへの石炭と電力供給を中断した。さらに6月24日にはベルリンへの鉄道輸送も遮断された。
しかし西側はこの挑戦を受けて立ち、アメリカ空軍を中心にベルリンに対する大空輸作戦が行われた。危機的と見られていた冬季も、一日平均5500tに及ぶ物資が空輸され、ベルリン市民と駐在軍の必要を満たすことに成功した。その間交渉も進められ、翌年5月に封鎖は解除された。しかし、この事件によって東西ドイツの分裂は不可避なものとなった。