現在のJR京浜東北線蒲田駅西口の駅前広場。 東京都大田区は1947年(昭和22年)に、当時の「大森区」と「「蒲田区」がくっついて生まれた都市です。一文字ずつとって「オオタク」です。 旧「蒲田区」は1945年4月15日夜の空襲で、全住宅の約68%にあたる4万0197戸が焼けました。死者は618人。重軽傷者も666人にのぼりました。(=数字は「大田区史」から引用) その4ヶ月後に敗戦。日々の生活物資は不足し、米、みそ、マッチ、衣類などが配給の対象になっていましたが、アジア各地にいた兵隊が復員したり一般の人が引き揚げてくると、東京をはじめとする大都市は絶望的な食糧難に――。 鉄道駅前の「強制疎開」の…