ミヒャエル・ハイドン(1737-1806) ザルツブルクで活躍した、ハイドンの弟 モーツァルトが、雇用主のザルツブルク大司教コロレードと衝突し、辞表を叩きつけて大都会ウィーンに飛び出しフリーの音楽家として活動を始めて3年。 新妻を伴って久しぶりにザルツブルクに帰郷したときのエピソードです。 故郷ではかつての友人たちと旧交を温めていましたが、その中に〝シンフォニーの父〟ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)の弟、ミヒャエル・ハイドン(1737-1806)がいました。 兄ハイドンはハンガリーの大貴族、エステルハージ家の楽長として仕えていましたが、弟ハイドンはモーツァルトと同じザルツブルク宮廷楽団…