作曲家、ピアニスト、指揮者。フルネームはJohannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus Mozart。
年譜
- 1756年1月27日ザルツブルク生。レオポルト・モーツァルトの息子。一般に「モーツァルト」と言うときは、このヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトを指す。古典派音楽に限らず、史上最高水準の作曲家の一人として称賛を受け、後世に与えた影響は音楽以外の分野も含めると計り知れない。自身はTheophilusに代えてAmadeus、あるいはAmadéを通称として使用していた。
- 3歳でクラヴィア演奏の才能を示す。5歳でクラヴィアの作曲及び即興演奏を始め、神童と称される。
- 1762年 ミュンヘン及びヴィーン旅行。マリア・テレジアの面前で演奏。
- 1763年 パリ・ロンドン旅行(〜66年)。
- 1767年 ヴィーン旅行(〜69年)。
- 1769年 ザルツブルク宮廷にコンサートマスターとして就職。3回に及ぶイタリア旅行(〜73年)。イタリアの諸大家の作品を研究したほか、対位法を学ぶ。
- 1774年 ヴィーン旅行(〜75年)。
- 1777年 ザルツブルクで辞職し、ミュンヘン〜マンハイムへ就職旅行(失敗)。
- 1778年 マンハイム〜パリへ就職旅行(失敗)。
- 1779年 ザルツブルク宮廷にオルガニストとして再就職。
- 1780年 ミュンヘンに旅行。
- 1781年 ザルツブルク宮廷を再度辞職しヴィーンに定住。オーストリア宮廷作曲家として就職し、同時にフリーランスの作曲家、ピアノ教師として活動を開始。
- 1782年 コンスタンツェ・ヴェーバー(1762年-1842年)と結婚。
- 1785年 ハイドンの激賞を受ける。ハイドンに弦楽四重奏曲6曲を献呈。
- 1786年 オペラ「フィガロの結婚」(K.492)初演。
- 1787年 プラハ旅行。ベートーヴェンの訪問を受ける。父レオポルト死去(5月)。オペラ「ドン・ジョヴァンニ」(K.527)初演。
- 1789年 ベルリン旅行。
- 1790年 オペラ「コシ・ファン・トゥッテ」(K.588)』初演。 レオポルト2世戴冠式のためフランクフルト旅行。
- 1791年 息子フランツ・クサーヴァー・モーツァルト誕生。 レオポルト2世戴冠式に同行しプラハ旅行。オペラ「皇帝ティトゥスの慈悲」(K.621)初演。 ジンクシュピール「魔笛」(K.620)初演。 「レクイエム」(K.626)作曲中12月急逝。
- 1791年 12月5日ウィーン(ヴィーン)没。数々の名曲を残しながらも、彼の遺体は共同墓地に埋葬されたという。
作品総数は700曲以上。国外旅行により習得した各地の音楽書法を縦横に駆使し、さらにヨハン・クリスティアン・バッハの知遇を得てその影響を受けた。さらにヴィーンに定住後は、ハイドンとJ.S.バッハの対位法技法を取り込み、円熟の境地に至った。
主要な作曲分野はオペラ(歌劇)、交響曲、協奏曲、室内楽、ソナタ、ミサなど。
交響曲 (有名な交響曲は最後の四作品)
- No.25 ト短調 K183
- No.38(プラハ Prague)ニ長調 K504
- No.39 変ホ長調 K543
- No.40 ト短調 K550
- No.41(ジュピター Jupiter)ハ長調 K551
協奏曲
ピアノ協奏曲
クラリネット協奏曲
フルート協奏曲
フルートとハープのための協奏曲
ホルン協奏曲
ヴァイオリン協奏曲
ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲
声楽作品
- 救われしベトゥーリア (オラトリオ)
- 悔悟するダヴィデ (カンタータ)
- 戴冠式ミサ
- 汝らに解き明かさん、おお神よ (コンサート・アリア)
- 寂しい森の中で (歌曲)
- エクスルターテ・ユビラーテ
- アヴェ・ベルム・コルプス
- レクイエム ニ短調 K.626「死者のためのミサ曲」(通称:モツレク、K.626とも)
上に挙げた曲は、彼の残した作品のほんの一部に過ぎません。有名な、主要なと挙げましたけれど、数が多すぎ列挙仕切れないので上のような形となっております。