【「宅」から「庄」へ】 「・・・家持は平城京から庄に返事を贈りました。 (秋の相聞 巻八の一六二五)(歌は省略) 家持の答えは、滑稽なほど大げさなものです。『業(なり)と作れる』は、専門の職業として作ったということなのですが。大嬢の歌の『我が業なる』に込められた自負を、家持が汲み取って答えたものでしょう。 しかしながら、ミヤコ育ちの貴族のお嬢様の大嬢が、直接農作業をしたなどとは、とうてい思えません。坂上郎女や大嬢がした仕事は、農作業の監督、視察、事務などに留まるものだった、と思います。しかし、それとて立派な労働ですが。 ・・・大嬢は『我が業なる』と歌い、家持は『我妹子が 業と作れる』と返したの…