第五章 労働と家族 【万葉貴族も二重生活だった】 「万葉時代の貴族もまた二重生活者だったのです。万葉貴族は、いわゆる官僚ですから、平城京内の『邸宅』に住むことが義務づけられていました。・・・彼らは、ミヤの周辺に住み、イへ(邸宅)からミヤに出勤して働き、またイへに戻ったのでしょう。それが、彼らのミヤコでの生活でした。『万葉集』を読むと、大伴家持を代表とする名門貴族大伴氏も、平城京の東北の佐保(さほ)に、邸宅を持っていたことがわかります。」 【大伴氏の庄】 「万葉貴族は、京の外に自らが経営する田圃(たんぼ)や菜園を持っていました。それが『庄』です。一般には、これを『タドコロ』と読んでいます。『万葉…