【使いが来なくなるということ】 「『万葉集』の恋歌を読んでいると、当時は恋人の間で使いが煩雑に出されていたことがわかります。・・・つれなくなると、たよりもなくなるのは、今も昔も変わらぬ世の常です。・・・川や池の水が停滞して動かなくんっている場所を『ヨド(淀)』というのですが、使いが停滞して来なくなることを、女たちは『使ひのよどみ』といいました、(巻四の六四九)。 同じ巻四にも、使いの来なくなった恨み節が伝わっています。それは、高田女王(たかたのおほきみ)が、今城王(いまきのおほきみ)・・・に贈った歌です。・・・今城王の熱が急速に冷めていった様子が、この前に置かれている五首からわかります。 (相…