仏になるみちは善知識にはすぎず。わがちえなににかせん。ただあつき・つめたきばかりの智慧だにも候ならば、善知識たいせちなり。 しかるに、善知識に値うことが第一のかたきことなり。されば、仏は善知識に値うことをば、一眼のかめの浮き木に入り、梵天よりいとを下して大地のはりのめに入るにたとえ給えり。しかるに、末代悪世には悪知識は大地微塵よりもおおく、善知識は爪上の土よりもすくなし。 今月の御講拝読御書は『三三蔵祈雨事』の御でした。さっそく当該御文を研鑽をしたいと思います。最初に、【善知識】についてですが天台大師は『法華文句』で善知識には、①外護の善知識(修行者を援助し仏法弘通を援護する人)②教授の善知識…