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世界「最終」戦争論

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■薩摩半島の山奥の『毒蛇山荘』で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑷。 私が石原莞爾に興味を持つにいたったのは、東京裁判臨時法廷におけるその奇抜な言動に接したからではない。また、満洲事変における軍人としての天才的な軍事戦略と大活躍のせいでもない。何回も繰り返すが、《 日蓮 》や《日蓮宗 》について、『世界最終戦争論』の中で、戦争論や戦略論を論じながら、同時に、大真面目に論じているのに感動したからである。石原莞爾は、自分の信じる宗教は《 日蓮宗 》である、自分が死んだら葬式は日蓮宗でやってくれ、などと、

■薩摩半島の山奥の『毒蛇山荘』で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑷。私が石原莞爾に興味を持つにいたったのは、東京裁判臨時法廷におけるその奇抜な言動に接したからではない。また、満洲事変における軍人としての天才的な軍事戦略と大活躍のせいでもない。何回も繰り返すが、《 日蓮 》や《日蓮宗 》について、『世界最終戦争論』の中で、戦争論や戦略論を論じながら、同時に、大真面目に論じているのに感動したからである。石原莞爾は、自分の信じる宗教は《 日蓮宗 》である、自分が死んだら葬式は日蓮宗でやってくれ、などと、呑気なことを言っているのではない。『世界最終戦争論』という論文の中で、むしろその思想的根拠として…

⬛️薩摩半島の山奥の『毒蛇山荘』で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑶。 私は《政治漫談 》や《経済漫談 》が嫌いである。もちろん私も《 政治漫談 》や《 経済漫談 》を、まったくやらないわけではない。そういう時、私は、常に自己批判と自己懐疑を感じ、最終的には自己嫌悪におちいる。《 こんなことをやって、なんになるのだ》《 自己満足 になるだけだ・・・》と思わないわけにはおれないのだ。《 政治漫談 》や《 経済漫談》とは、私にとっては、そういうものだ。福田和也の大著を読みながら、そういうことを考えた

⬛️薩摩半島の山奥の『毒蛇山荘』で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑶。私は《政治漫談 》や《経済漫談 》が嫌いである。もちろん私も《 政治漫談 》や《 経済漫談 》を、まったくやらないわけではない。そういう時、私は、常に自己批判と自己懐疑を感じ、最終的には自己嫌悪におちいる。《 こんなことをやって、なんになるのだ》《 自己満足 になるだけだ・・・》と思わないわけにはおれないのだ。《 政治漫談 》や《 経済漫談》とは、私にとっては、そういうものだ。福田和也の大著を読みながら、そういうことを考えた 。福田の大著には、《 石原莞爾とは何か 》という本質論、原理論、つまり《 存在論 》が欠如している…

⬛️薩摩半島の山奥の『毒蛇山荘』で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑶。 私は《政治漫談 》や《経済漫談 》が嫌いである。もちろん私も《 政治漫談 》や《 経済漫談 》を、まったくやらないわけではない。そういう時、私は、常に自己批判と自己懐疑を感じ、最終的には自己嫌悪におちいる。《 こんなことをやって、なんになるのだ》《 自己満足 になるだけだ・・・》と思わないわけにはおれないのだ。《 政治漫談 》や《 経済漫談》とは、私にとっては、そういうものだ。福田和也の大著を読みながら、そういうことを考えた

⬛️薩摩半島の山奥の『毒蛇山荘』で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑶。私は《政治漫談 》や《経済漫談 》が嫌いである。もちろん私も《 政治漫談 》や《 経済漫談 》を、まったくやらないわけではない。そういう時、私は、常に自己批判と自己懐疑を感じ、最終的には自己嫌悪におちいる。《 こんなことをやって、なんになるのだ》《 自己満足 になるだけだ・・・》と思わないわけにはおれないのだ。《 政治漫談 》や《 経済漫談》とは、私にとっては、そういうものだ。福田和也の大著を読みながら、そういうことを考えた 。福田の大著には、《 石原莞爾とは何か 》という本質論、原理論、つまり《 存在論 》が欠如している…

■薩摩半島の山奥の『毒蛇山荘』で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑵。 私が、『世界最終戦争論』で、もっとも面白いと思い、思わず引きずり込まれたのは、日蓮や日蓮宗の問題であった。だから、私は、以後、石原莞爾について語る奴が、《 戦争》や《戦略 》のことしか語らず、《 日蓮宗 》を中心に《 宗教 》の話題をスルーしている人を見ると、《 コイツはチャント、『世界最終戦争論』を読んでないな》と思うことにしている。さすがに福田和也は、そこも読んでいるらしいが、しかし私から言わせると、まだ不十分である。通り

■薩摩半島の山奥の『毒蛇山荘』で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑵。私が、『世界最終戦争論』で、もっとも面白いと思い、思わず引きずり込まれたのは、日蓮や日蓮宗の問題であった。だから、私は、以後、石原莞爾について語る奴が、《 戦争》や《戦略 》のことしか語らず、《 日蓮宗 》を中心に《 宗教 》の話題をスルーしている人を見ると、《 コイツはチャント、『世界最終戦争論』を読んでないな》と思うことにしている。さすがに福田和也は、そこも読んでいるらしいが、しかし私から言わせると、まだ不十分である。通りいっぺんの分析と解釈しかしていない。福田和也の石原莞爾伝『 地ひらく』は、昭和史の解説としては、詳し…

■薩摩半島の山奥の毒蛇山荘で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑴。 私は、本を読む時は、原則として《原典》を読み、しかも何回も読み返すという方法をとっている。それは、私が、読書を通じて頭を鍛える方法でもある。過激な深い思考を身につけるにはそれしかない。したがって、私は多読ではない。あれもこれもという読書家ではない。私は、昔から、読書家を軽蔑していた。私は、子供の頃、《考える少年 》ではあったが、《 本を読む少年 》ではなかった。私には、読んでいない本がたくさん、ある。知識や雑学の量を増やしていくだけの読

■薩摩半島の山奥の毒蛇山荘で石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む⑴。私は、本を読む時は、原則として《原典》を読み、しかも何回も読み返すという方法をとっている。それは、私が、読書を通じて頭を鍛える方法でもある。過激な深い思考を身につけるにはそれしかない。したがって、私は多読ではない。あれもこれもという読書家ではない。私は、昔から、読書家を軽蔑していた。私は、子供の頃、《考える少年 》ではあったが、《 本を読む少年 》ではなかった。私には、読んでいない本がたくさん、ある。知識や雑学の量を増やしていくだけの読み方に、私は反対である。もちろん読む価値がないと思った本は、最初から、《 原典 》であろうとな…

■鹿児島中央駅前のスターバックスで、石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む。 昨日は、鹿児島中央駅には着いたが、バス時間が大幅に変更されているので、毒蛇山荘までは帰れず、というより、あらかじめ、それを前提に、《車寅次郎》気取りで、鹿児島中央駅周辺でウロウロしている。というわけで、10:30の田舎の鈍行バスを待ちながら、今、スターバックスでコーヒーを飲みながら、石原莞爾の『世界最終戦争論』を読んでいる。ところで、江藤淳が『 日米戦争は終わっていない』で、石原莞爾を批判して、日米戦争は、短期決戦型の日米戦争では

■鹿児島中央駅前のスターバックスで、石原莞爾の『世界最終戦争論』を読む。昨日は、鹿児島中央駅には着いたが、バス時間が大幅に変更されているので、毒蛇山荘までは帰れず、というより、あらかじめ、それを前提に、《車寅次郎》気取りで、鹿児島中央駅周辺でウロウロしている。というわけで、10:30の田舎の鈍行バスを待ちながら、今、スターバックスでコーヒーを飲みながら、石原莞爾の『世界最終戦争論』を読んでいる。ところで、江藤淳が『 日米戦争は終わっていない』で、石原莞爾を批判して、日米戦争は、短期決戦型の日米戦争ではなく、今、《 持久戦》の段階にあり、延々と続いていると言っているらしい。江藤淳の言う通りだが・…