串木野市麓の大堂庵墓地に加藤家の墓地があり、そこに加藤雄吉親子の墓がありました。後継がないということで墓じまいされましたが、その後、加藤雄吉の功績をたたえるべく、記念碑が建てられ、墓の竿石が加藤家の墓地跡に戻されました。 竿石の「加藤雄吉之墓」の文字は森鴎外の揮毫であると加藤家には伝わり、側面には加藤雄吉の墓誌が刻まれています。 加藤雄吉の墓 2016.5.5撮影 (正面) 加藤雄吉之墓 (側面) 君諱雄吉、號尾花、加藤氏、考曰彦十郎、君其第二氏也、家世西薩串木野人、君幼而頴悟、年甫十六、學東京法學院、非其志不終業而還、性酷愛文学、獨力研鑽、造詣不浅、尤精于考證、又嗜國風、後再上京、與文壇諸名…