鹿児島県鹿児島市出身。2歳のとき家族で満州国に渡り、同国の首都の新京と当時は中華民国の支配下にあった北京で育ち、小学校1年生のとき鹿児島に戻る。鹿児島の中学校を卒業後、市内の百貨店・丸屋呉服店に勤務。1953年『のど自慢素人演芸会』で鹿児島県代表に選ばれ優勝したのを機に、歌手を目指し上京する。さまざまな職業を経て青木光一の付き人や島倉千代子の専属司会者を経て、漫才コンビ「内藤ロック・安藤ロール」を結成。解散後、「安藤ロール」の名のままストリップ劇場・「浅草フランス座」のコメディアンとなり、阿部昇二に師事。幕間コントで萩本欽一と共演した<wikipedia> 貴幼法の主星車騎星の説明に見合う人が…