算命学が生まれた時代は、自然と人間が一体でありえた時で、野に咲く花と、地を歩く牛馬と、人間と、これらは同じ素材で同じ原理で生きていると実感できた時代でした。これがおそらく、太極を一極としていられた時代でしょう。時代とともに、人間は人間にとってより快適な未来を目指す人間独自の時間(現実)を生み出すようになりました。自然と逆行する現実が生まれます。 これまでの流れを振り返ってみると、魄の燃焼は人間時間の中で起こっていることで、それは一プロセスで、その後の「魂」への移行が描けませんでした。我々凡夫はまだまだ魄の燃焼の過程にいて、次元や太極というのは絵に描いた餅でしかありません。だとしても、その尻尾が…