聖徳太子の伊予来訪 奈良時代に成立したとされる『伊予国風土記』逸文には、古代の天皇らが伊予の湯を五度(いつたび)訪れたことが記されています。 その三度目に聖徳太子が高句麗の恵慈僧と葛城臣烏那羅(かつらぎのおみおなら)を連れて夷與(いよ)の村を訪れ、そこで伊予の湯を称えて詩文を作り、碑が建てられたと書かれてあります。 その古代「伊予の湯」について「道後温泉」のことだと解釈している人がたいへん多いのですが、残念ながら、古代「伊予の湯」は道後温泉ではありません。 道後温泉について 道後温泉は746年に伊予国守の越智玉澄(おちたまずみ)が発見して、行基菩薩と共に開発した温泉との史料が『伊豫温故録(続編…