三 「低徊」について 「低徊」も気になる。現在そう使う言葉ではない。低徊の使用例は、自らを低徊趣味といった漱石の『三四郎』(明治四一)では五例見られる。 ○ 三四郎は勉強家というよりむしろ彽徊家なので、わりあい書物を読まない。その代りある掬《きく》すべき情景にあうと、何べんもこれを頭の中で新たにして喜んでいる。 ○ そこで手紙が来た時だけは、しばらくこの世界に彽徊して旧歓をあたためる。 ○ 広田先生はそれで話を切った。鼻から例によって煙をはく。(略)煙が、鼻の下に彽徊して、髭に未練があるように見える時は、瞑想に入る。もしくは詩的感興がある。 ○ 三四郎は床の中で、雨の音を聞きながら、尼寺へ行け…