佐々木只三郎

(一般)
ささきたださぶろう

1834年(天保4年)〜1868年(慶応4年)
幕末の幕臣。京都見廻組の与頭(実質的リーダー)。
会津藩士佐々木源八の三男として会津で生まれる。長兄は、会津公用人の手代木直右衛門。
万延元年(1860年)江戸に出府。佐々木家の親戚に当たる旗本、佐々木矢太夫に養子入りし、その家督を継ぐ。
幕府の命により清河八郎を殺害したほか、坂本龍馬・中岡慎太郎殺害の最有力候補ともされている。
慶応4年1月6日、鳥羽伏見の戦いにおいて腰に被弾、紀州に運ばれたが、12日に亡くなった。享年36。

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