勝海舟

勝海舟

(テレビ)
かつかいしゅう

1974年放送のNHK大河ドラマ
原作:子母沢寛
脚本:倉本聰中沢昭二
音楽:冨田勲

幕末の動乱期に中で武士道を貫く勝海舟を描いた。
しかし、放送中、主役の渡哲也の病気降板。松方弘樹が代役したものの、NHKスタッフとこじれる。また、脚本を手がけた倉本聰ともNHKスタッフとの物別れするなど問題が起きた。

勝海舟

(社会)
かつかいしゅう

幕末の政治家(1823−1899)。
幼名・通称:勝麟太郎
本名:義邦(よしくに)後に、安芳
幕臣でありながら広い視野を持ち、坂本竜馬西郷隆盛らを開眼させた。江戸無血開城に貢献。維新後伯爵。
幼少時より剣術を習い、島田虎之助の下で直心影流免許皆伝の腕前を持つ。
青年時にいたって蘭学を志し、永井青崖門下で地理学、後に兵学を研究。家が貧乏なために日蘭辞書「ヅーフハルマ」を2部筆写し、1部を売った話は有名。
佐久間象山と交流し、妹が象山に嫁す。このとき象山より「海舟書屋」の額を貰い受け、自分の号とした。
ペリー来航時に的確な意見書を提出して幕閣に認められ、やがて長崎海軍伝習所教頭となる。
1860年、咸臨丸指揮官としてジョン万次郎福沢諭吉らとともに渡米。
帰国後は一時海軍から遠ざかるが、やがて将軍徳川家茂に直訴し、神戸海軍操練所を作る。
坂本竜馬が海舟の元で学んだのはこの時期である。
しかし禁門の変後時流は逆転。操練所は閉鎖。竜馬を西郷に託し、自分は謹慎処分を受ける。
その後第二次長州征伐失敗の尻拭いをするも再び左遷。そして運命の江戸開城を迎えるのである。
海舟と徳川慶喜はとことん馬が合わなかった。知に働きすぎる上司と、できすぎる部下。思えば不運な取り合わせである。
しかし海舟は朝敵となった慶喜のために尽力。死の前年には赦免に成功している。
毀誉褒貶の多い人物だが、彼がいなかったら、西郷も坂本もあそこまでの働きはできなかっただろう。


余談だが、海舟は非常に手の早い人間だったらしい。
長崎留学中に未亡人と、また、屋敷に奉公に来ていた若い女中にも、片っ端から手をつけては身ごもらせ、
わかっているだけで8人の女性(無論、正妻である民子を除いてである)との間に子をもうけている。

だが、正妻妾が同居する家庭でありながら不思議と波風の立つことはなかったという。

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