幕末から明治初期に日本に滞在した外国人たちの記録の中でもよく見られるのが、牛馬に蹄鉄を打たずに藁沓を履かせているという記述です。 1863年に通商条約締結のため来日したスイスのエメ・アンベール(元時計業組合会長)は『幕末日本図絵』(Le Japon Illustré) の中で、「日本の最も豊饒な人口の多い地点を南から東に延びている」と東海道のことを紹介する際に、街道の乗り物として駕籠と馬をあげ、「馬の方は、普通、手綱を腹帯に結びつけて、馬子の背後から首を垂れて歩いていく。日本人は、馬に蹄鉄を打たず、藁沓を履かせるが、しかし、この藁沓は、一日と持たないので、棄てて、新しいのと替えねばならない。こ…