正徳2年11月2日。智多郡円福寺村の年貢米50石を積んだ船が今日鬼ケ崎で難破し、船頭1人が死ぬ。7日までに45石を引き上げる。先月30日、供番寄田清大夫が病気の願書を出すからと仲間の石川元右衛門・内藤勘之丞・増田只左衛門に頼んだ。増田が言うには願書は2人で持参するべきだと。しかし自分は一番の御使であると。寄田は何とか出てくれと言うが、増田はそれならば10日待って使番を終えてから持って行くと言ったけれど、聞き入れる様子もなくどうするか決まらなかった。その場はそれで終わったが、この日申刻(午後3時)寄田1人が増田のところへやって来てとにかく出てくれと言った。増田は前の話をしたが、日ごろから出入りし…