若い時から、教会の将来に危機感を覚えていました。礼拝に集う人数が減り、教会は消滅の道をたどるのではないか、という危機感です。 私が洗礼を受けた教会、私が牧師となって赴任した教会、その近隣にある教会の基本的な信仰教育は、礼拝説教を聞く、教会での聖書の学びに参加する、の二つが基本です。その内容は基本的に知識の伝達です。長年続ければ、信仰の知識は頭脳に蓄積されますが、必ずしも生き方の変化となって現れるとは限りません。 私はサラン教会が聖書の学びをして信徒訓練、弟子養成をしたという話しに関心を持ちました。信仰者に対して継続的に信仰の学び、聖書の学びをするのです。基本的にはキリスト教の教理の修得、その教…