しばらくははなのうえなるつきよかな 貞享5年(1688)、吉野での作とされている。(『蕉翁句集』)咲き誇る桜の上に、朧に花を照らす春の月が輝いている。そして、やがて月は西に傾いて、この花月の照応による佳景も消え去ることが「しばらく」という措辞から覗われる。儚いから風雅も極まるのであり、このことは生生流転における「さび」の美意識に繋がっている。もっとも、「しばらく」は月の運行や花の時期のみならず、月へと羽化登仙するかのような芭蕉の心境にもかかっているのではないだろうか。このことは、まさに芭蕉が喝破した「発句の事は行きて帰る心の味ひなり」ということと深く関わっていると思われる。 余談であるが、以前…