七番札所極楽寺から次の八番札所傳宗(ぜんそう)院へは、師崎街道を15分ほど南下した東浦町緒川天白に鎮座します。鎮座地の緒川は古くは小川と書かれていたが、明応8年(1499)に歌人飛鳥井雅康が小川城主水野右衛門太夫を訪ねた際に「松のうへに繰るてふ糸の伊久結び玉の緒川の末かけてみむ」と詠んだことから緒川と書くようになったと云われます。小川城址は傳宗院の南、15分ほどの所にあります。室町時代の知多半島北部や刈谷は水野氏が治めていた。小川(緒川)城は文明年間(1469-1486)、水野貞守が先祖の旧地に築城したと伝えられ、その後も忠政や信元ら水野氏の居城となり、忠政の娘で、徳川家康の生母於大の方(伝通…