百人一首第47番目の歌の作者は恵慶えぎょう法師です。 この人も三十六歌仙の一人です。 今回は恵慶法師について紹介します。 恵慶法師とは 生没年不詳。平安中期の人です。 清和天皇のひ孫にあたり、清和源氏につらなる一人でもあります。 地方官を歴任しましたが、最後は陸奥で亡くなったようです。 陸奥に行ったのは、宮中で事件を起こした藤原実方に同情したから。 奇人として知られた曽禰好忠(第46番目の歌の作者)とも親交があり、その意味では、反骨の気概を持つ人だったのかもしれません。 dantandho.hatenadiary.com 時代背景 この歌は源融(第14番目の歌の作者)が建造した河原院で歌われた…