勤め先から帰って、自分の部屋の風景を眺めると我に帰る。 表面的な言葉の付き合いは、それが必要だからということで無理もないが、その反面、自分にとっては心が枯れていく気分になる。休みの1日をその流れのままで過ごしてしまうと、心は循環されないまま、ストレスの層が積もる。 休日の朝は、雨が降らない限り、午前4時に起床して撮影に出る。すべての困難を自分の写真に昇華していくことに費やす。 もう世間一般に用意された「物事」だけで、自分を満たすことはできない。 もちろん自分の栄養となる音楽や書籍など、先人が残したものは必要に応じて手に入れる。でもそれはあくまで自らの栄養であって、自分自身の生き方そのものにはな…