汽車には、人や物の運送を担う公共交通機関としての役割のみではなく人の喜怒哀楽を誘引する不思議な力があると思う。汽車は同じ鉄路を毎日往復するのに、人は一期一会の思い出を汽車に託して記憶する。幼い日、田舎道が東京に向かう鉄道と交差する小高い丘の踏切で目の前を通過していく汽車を見るのが楽しみだった。誇らしげに汽笛を鳴らし薄暮のなかを走り去る列車の赤いランプに、なぜかもの悲しさを覚えたものである。春日八郎が唄う「白い夜霧の あかりに濡れて...」(「赤いランプの終列車」作詞 大倉芳郎 作曲 江口夜詩)がいつもラジオから流れていた。その哀愁を帯びたメロデイーが私を虜にしたのだろうか。以来、ことあるごとに…