現地には標柱と説明板及び大砲レプリカのみで、遺構らしきものはない。 1855年(安政2年)蝦夷地が再び幕府直轄領となり、マシケには久保田藩(秋田藩)が元陣屋を構え、留萌郡以北は庄内藩が留萌・苫前・天塩に出張陣屋を築き、警固を行った。 第二台場跡は暑寒別川河口左岸高台に秋田藩が異国船対策のために設けた砲台跡の一つです。 現在は地形が掘削平坦化されており、当時は国道左側の高さの段丘面が続いていたと思われる。 増毛町史跡マップから抜粋17.秋田藩元陣屋第二台場秋田藩がロシアに対する備えとして設置したこの第二台場にはホイッスル砲1門、和製の大砲が3門備えられていたことが、安政3年(1856年)の資料か…