(つづき) 私は悪意なく“味方”を名乗りたい。それが自分の本心だと信じたい。それでも“自己防衛して”という思いは消えてはいない。そこには自分の“経験からの裏付け”が隠れていると思う。私も過去の出来事に対して「自分にも落ち度がある」「世の中をなめてかかっていた」という自覚を今現在も持っているからだ。「世の中性善説だけではやってけねーよ」と当時も今も思っている。「世知辛いね。悔しいね。腹立つね。」とも。だからこそ、誰にも加害者にも被害者にもなってほしくない。 件の加害者側の男性を私は昔から応援していたし、事件当時もうほんとに腹が立った。「何やってんだよ!完全に間違えてる。ずっとかっこいいあんちゃん…