左:大庭景親 右:梶原景時 いずれもネットから拝借 治承4年(1180年)8月、ついに頼朝は以仁王の令旨を旗頭に挙兵を決意します。頼朝34歳、伊豆に配流されてから実に20年後のことです。まず、伊豆国目代の山木兼隆を倒します。まあ、ここまではよかったのですが、世の中、そんなに甘くなく、このあと頼朝は散々な目にあいます。 1.石橋山の戦い 2.坂東の勢力図 3.坂東武士の理念「一所懸命」の意味 4.坂東武士が頼朝勢に加わった理由 5.まとめ 1.石橋山の戦い 山木を破った頼朝軍は相模国を目指すのですが、兵力はわずか300騎といかにも少なく、合流するはずの三浦軍も悪天候のため参戦できない状態。それど…