(1930-)他に本職を持ついわゆる日曜作曲家。
1947年に大阪高等学校に入学。男声合唱と出会う。一年先輩には田中信昭氏がいた。1950年に京都大学法学部へと進学。同大男声合唱団で『月光とピエロ』を指揮し、清水修氏と出会う。
男声合唱の全てを知り尽くしている作曲家で、この人を知らなければモグリといわれる。一部京都の訛りはあるものの日本語の扱いがとてもうまく、高田三郎氏と並んでイントネーションの扱いには定評がある。
代表曲は『柳河風俗詩』『富士山』『雨』など。
近年ではコンクールなどで混声の作品を耳にすることが多くなってきた。