以前、私は書く側における「方法への疲労」というものについて考えたことがあった。明確な方法意識を持って書きつづける書き手には、ある時、その方法に対する疲労感とでもいうべきものが生まれ、そこからの脱出を夢見るようになるのではないか、と。しかし、「方法への疲労」は、書く側ばかりでなく、読む側にもあることなのかもしれなかった。少なくともその時の私は、純然たる「ラピエール=コリンズ・スタイル」で書かれた『愛より気高く』を読んで、軽い疲労感のようなものを覚えてしまったのだ。それは必ずしもテーマがエイズだからというのではないように思えた。(沢木耕太郎『夢ノ町本通り』新潮社、2023) おはようございます。通…