2024.03.02 「大原越」、京都大原を想起させて何だか情緒を感じさせる。勿論、三千院も寂光院もないし、”大原女”も多分いない。かつて佐伯領(上直見内水)から岡領(宇目大原)、延岡領(柚ケ内)と繋いだ尾根越えの旧道名である。 尾根は南北に長々と連なっていて過去も現在も日豊国境を成す。大原越そのものは途中でこの長い尾根から分岐して延岡領に降って行く。「西南戦争」の激戦地でもあり堡塁跡が尾根上に点在して残っている。ただ、どれも風化が進み今やそれらしき窪地が残るのみで兵どもの悲哀を偲ぶことさえ難しい。 その大原越を途中まで辿り更に南の椎葉山(460m)まで往復9km、5時間をかけてひたすら一人歩…