ファシスタたらんとした者 前回のエントリー(「大衆」とは何か? - 風太郎の海辺)で書かせていただいた通り、西部邁と吉本隆明の対談は二人の「大衆」という言葉の定義の違いや「大衆」に対する思想的立場の違いが要因で平行線をたどった。 ここで考えてみたいのが欧米語の日本語訳についてである。英語の"mass"(マス)を「大衆」と訳すこと自体を考え直すべきだと私は考えるのである。英語の"mass"(マス)はラテン語の"massa"をルーツに持ち、”mass communication"(マス・コミュニケーション:いわゆる「マスコミ」)"mass production"(マス・プロダクション:大量生産)等…