よしもと・たかあき(1924〜2012) 詩人、文芸評論家、思想家。1924年(大正13年)11月、東京・月島生まれ。東京工業大学電気化学科卒業。主著に『転位のための十篇』『固有時との対話』『共同幻想論』『マス・イメージ論』ほか。 名前の『隆明』は本来は「たかあき」であるが多く「りゅうめい」と呼ばれる。小説家・よしもとばなな(吉本ばなな)は次女。 数年前、伊豆で海水浴をして溺れかけた。 2012年3月16日、肺炎のため死去。
親鸞の解釈の仕方によりますと人間は具体的に生きているとか死んでいるとかいうところ、つまりその人がその人であるというところでは人間は本質的な存在ではない、というのです。これを現在のいい方でいえば、人間はいつも現に存在するところのものではないということでしょう。現に存在するところのもの、あるいは現にしか存在できないものは、すべて仮の姿で、本質的な人間とはそれらを貫いている何かだと考えたわけです。 (吉本隆明「良寛」) この、本来誰もがもっていた感じを、早々と忘れてしまうのが平均人だ。それで、自分中心の偏狭な範囲にあっさり適応して、わがことなれりとおもう。 この感じを忘れずいつまでも抱き続ける少数者…
わたくしは拙作のなかで荷風を「エディポスコンプレックスの人」としました。これはすくなくともわたくしにとっては、新発見のつもりでした。わたくしは永年、荷風の父に対する恐怖的服従とそれをはね返す反抗とはよく知っていましたが、それがエディポスコンプレックスに根元があること、そしてそれが荷風の生涯を支配していることは、今度拙作を執筆中にはじめて気がついたところでした。 同じような事をこうはっきりといった人が今までにありましたろうか。寡聞(かぶん)にしてわたくしは知りません。あったなら御教示を得たいものです。 それとも荷風をエディポスコンプレックスの人と見ることが間違いで、新しい発見にはならないのでしょ…
『老いの超え方』 吉本 隆明著 Tの書棚の吉本本のコーナーから引き出してきた。吉本さん76歳。「自らの身心の老いを徹底分析」と惹句にある。この年齢で、体の不調がいろいろあるせいか、あの吉本さんでさえかなり弱気である。 吉本さんは「老人は超人類だ」とおっしゃる。「何かを行おうという思いと実際の運動性の分離はすごく広がっている。いわば超人類だ。」これを鈍いと解釈し侮ると若者と老齢者の差異はひどくなる。感性が鈍化するのではなく、あまりに意志力と身体の運動性の背離が大きくなるので、他人に告げるのが億劫になるだけだ。」これを鈍感とか呆けたとか思われるのは心外ということだ。 こういう考えにあるのは、老人も…
山々の奥には山人住めり。栃内(とちない)村和野(わの)の佐々木嘉兵衛(かへえ)という人は今も七十余にて生存せり。この翁(おきな)若かりしころ猟をして山奥に入りしに、遥(はる)かなる岩の上に美しき女一人ありて、長き黒髪を梳(くしけず)りていたり。顔の色きわめて白し。不敵の男なれば直(ただち)に銃(つつ)を差し向けて打ち放せしに弾(たま)に応じて倒れたり。そこに馳(か)けつけて見れば、身のたけ高き女にて、解きたる黒髪はまたそのたけよりも長かりき。のちの験(しるし)にせばやと思いてその髪をいささか切り取り、これを綰(わが)ねて懐(ふところ)に入れ、やがて家路に向いしに、道の程にて耐(た)えがたく睡眠…
山人にさらわれて妻にされた女は、村の猟師に山人の恐ろしさを訴えるが、じぶんは帰ろうとしない。女はじぶんを禁制をやぶったよそものとしてかんがえ、ふたたび村に戻れないのだというたてまえで、いつも距離をおいて村の猟師に対する。さらわれた山人の妻と、出遇った村の猟師のあいだのこの異邦人感覚にもにた距離感が、この種の山人譚にリアリティをあたえている。 ここまできて、わたしたちは『遠野物語』の山人譚が語りかける〈恐怖の共同性〉ともいうべきものが、時間恐怖と空間恐怖の拡がりに本質的に規定されていることを知る。又聞き話とそうだ話とが手をのばせる時間的なひろがりは、ここでは百年そこそこである。また空間的なひろが…
佐久間庸和です。わたしは一条真也として、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は、「唯葬論」という言葉を取り上げます。 『唯葬論』(三五館) 拙著のタイトルではありますが、「唯葬論」は単なる書名ではありません。それは、1つの思想なのです。わたしは、葬儀とは人類の存在基盤であり、発展基盤であると思っています。約7万年前に死者を埋葬したとされるネアンデルタール人たちは「他界」の観念を知っていたとされます。世界各地の埋葬が行われた遺跡からは、さまざまな事実が明らかになっています。 「人類の歴史は墓場から始まった」という言葉がありま…
仏教で成仏や浄化という言葉があるのに、何故キリスト教にはないのか。 一方的に悪魔は闇落ちで最後は地獄行き、それでおしまいなんですか、と。 実際にこのせめぎ合いの感覚を持ったことがあります。私が過去に何度か悪魔祓いを実際にやった時、それぞれ欧米出身のラテン語もできる年配の神父さんがアシストに付いてくれました。被験者の言っている悪魔らしきもの、その人とは違う人格のものが叫んでいる中で、「このままでいるのがほんとに苦しい」と言っていたんです。信仰における祈りにおいて自らの苦しさを吐露したんです。普段のその人は、実に穏やかな人でしたが、儀式の中でギャーギャー喚いている声の主はそう言うわけです。だったら…
空っ風で天日干し 籾摺り 玄米にする 優れモノ自動選別計量機 パックメイト 取説見ながら コンバイン掃除 ニトリ ベッドソファ サイドラック付き 104900+送料3300 難なく組み立てるも ダンボール・包装フィルムの始末に難 +3300をケチッタ ☆☆☆☆ 📖 紙パンツの 吉本隆明 時代に翻弄される 仁学と 優 勇太 「半暮刻」 : 翔太と海斗だった
もうひとつのカップラーメンは、長方形の紙器(本当は紙の器ではないが、紙器と呼んでおく)で、焼きそば的にソース味に仕上げられたものだ。量がやや多めで、若い頃はよかったが、いまは負担になる。けれども、この量が多いというところに、このカップラーメンの個性があるのだと私は思っている。 以前、知人の結婚式に招かれたとき、この娘さんは食べっぷりが立派だ、と言ったことがある。 それがどう受け止められたのかは知らないが、その娘さんの、食べることに関して、何度か素晴らしい風情のところを目撃したことがあった。 テレビ番組でいうと、明石家さんまが大勢の芸能人を前にした司会の重責を終えて、ほっとしたところで一杯の水を…
行方不明者は(これは今の私に当てはまることだ) 陽の当たる人生航路に姿をあらわす可能性もあるので(フーコーは自身をふりかえりながら、わが身の快癒を感じたとき、「白日のもとポーランドの自由に」 回帰した、と記している)、一般人は特別な危険にさらされることになる。そこで知っておくべきなのは――それに、これは毎日のように確認されることでもあるふたたび姿をあらわすかもしれない行方不明者の特異なあり方が、当の行方不明者に対して一種の危機感と、後ろめたさをいだかせるということだ。一般人は刑事犯や、強制入院させられた殺人者の社会生活を完全に絶つことのできない行方不明なる事態に対して、ひそかな懸念を覚えるから…