緻密な論理の筋道を辿りつつ読書することなど、おそらくは、もはや私にはできかねる。 江藤淳および後続する世代の文芸批評家たちからは、かつておおいに勉強させていただいたにもかかわらず、あらかたを古書肆に出してしまった。磯田光一、秋山駿、松原新一、入江隆則、月村敏行といった人たちだ。少し上の世代かとも思うが、篠田一士、川村二郎、佐伯彰一らも同様だ。ただ一人残してあったのが桶谷秀昭だ。 桶谷秀昭の著作には、どうにも手放しがたい匂いがある。うまく云い表せないのだが、批評の動力にかかわる種類の問題だ。 小説家とは異なり、世間的に認知されることも過不足なく評価されることもまず期待できない、批評家という渡世に…