本名広津直人.小説家(1861-1928).長崎出身.東大中退. 農商務省などに務めたが放蕩などのために非職となり,浪人生活をおくる.1887(明治20)年に政治小説『女子参政蜃中楼』を発表.1889(明治22)年に硯友社の同人となり,それから破滅的な生を描いた作品を次々と発表し,「深刻小説」と命名された.広津和郎は子。 代表作『変目伝』『黒蜥蜴』『今戸心中』『雨』など.
文芸批評家としての入江隆則に、注意を払っていた時期があった。 第一評論集『幻想のかなたに』に広津柳浪論の力篇が収録されてあったのに驚いた。かような入口から登場する批評家もあるのか、という感じだった。以後の批評文にも教えられた。『新井白石 闘いの肖像』からはありがたい啓蒙をいだだいた。D・H・ロレンスについてもだ。 だが批評文のなかには、これなら江藤淳でいいや、あるいは桶谷秀昭のほうがと感じさせられるものもあって、この世代の批評家のお一人なのだなと記憶した。 ふたたび入江隆則に刮目させられたのは『敗者の戦後』が出たときである。敗戦後の日独比較よりは、第二次大戦敗戦後日本と第一次大戦敗戦後のドイツ…
広津家墓所。谷中霊園。垣内に四代の墓石と墓誌石碑とが肩を寄せ合う。 祖父弘信は久留米藩の儒者の家柄。医術を学んで長﨑にて開業するも、併せて諸外国事情を学び、やがて上京。外交官として朝鮮との国交樹立の現場担当官だった。交渉はこじれて、結果として征韓論を誘発する結果にもなった。明治16年(1983)没。孫の和郎誕生時にはすでに他界していた。 父直人は、尾崎紅葉率いる硯友社の一員たる小説家広津柳浪。明治期屈指の小説名人の一人だ。外国語学校にてドイツ語を学び東大医学部予備門に入学するも、肺病を病んで中退。父の伝手で五代友厚家に見習いとして居候し、農商務省の役人にはなったものの文学好きの駄目官吏で、免職…
筆で所感を記す事も「筆まめ」な性質なので暇さえあれば何か書いてみたくなる。 明治三十六年十二月頃、大阪新報(時事新報と姉妹関係の新聞)で翌三十七年の辰年に因んだ御伽話の懸賞募集があった。早速応募した所当選して一月末の新聞紙上で発表された。 題名は「龍の天上」という題で一匹の龍次郎という龍の子供が乙姫様に天上したいから暇を下さいと頼んだが年が若いからと許されなかったので友達の鰐と相談して東京へ出て一軒の紙凧屋へ行き主人に頼み込み自分は秘術を使い紙凧に貼りついた。そして元旦に太郎君に買い取られた。それを知らない太郎君は喜んでそれを揚げた所他の物より高く揚がって行くので大喜びだった。一方龍の龍次郎君…