阿川弘之の「志賀直哉」とその周辺の人物についての記録文学。 野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞。
志賀直哉〈上〉 (新潮文庫)
志賀直哉〈下〉 (新潮文庫)
1883年2月20日宮城県石巻町生まれ。作家。1971年没。父直温、母銀の次男として生まれる。
1910年、武者小路実篤、有島武郎らと「白樺」を創刊。以降「白樺派」として戦前の小説界を牽引する。異名「小説の神様」。自らを題材に採った告白小説・私小説を中心として執筆。太宰治『如是我聞』などでの批判をのらりくらりとかわす。
スパイとして潜り込んだ屋敷を出るために練り出した作戦は想定外の展開に。伊達騒動が舞台のラブコメタッチの時代劇&元祖サザエさん? 製作:1936年 製作国:日本 日本公開:1936年 監督:伊丹万作 出演:片岡千恵蔵、原健作、毛利峯子、志村喬、杉山昌三九、他 レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます) ◆◆ この映画の猫 ◆◆ 役:☆☆(脇役級) 主人公が飼っている猫 名前:ろく 色柄:白(モノクロのため推定) ◆蠣太の蠣は貝のカキ このブログで伊丹万作の随筆や脚本について触れてきましたが(注1)、監督作品を紹介するのは今回が初めてです。 脚本は伊丹万作自身で、原作は志賀直哉の同名の…
まず「作家」を目指し、いろいろとチャレンジする人生を送ってみようと考えました。 病室で病気のことをいろいろ悩んでいた時に、ゴルフ仲間が「国立国会図書館に自分で書いた本が登録されると作家と呼べるようになる」と教えてくれました。 今ここにいる「我」と文章を書いている「我」、自分の二面性を認識しています。病室で考えたペンネーム「我、二人(われ ふたり)」を大切にしようと思いました。サラリーマン時代は建設会社に勤めていたので、建設工事(こうじ)という言葉の響きと長年お付合いしてきました。そのために「我二」をむりやり「こうじ」と呼んでみようと思いました。 自分の本名も少し入れて「澤 我二(さわ こうじ)…
白樺派は、1910年(明治43年)創刊の文学同人誌『白樺』を中心にして起こった文芸思潮の一つであり、その理念や作風を共有していたと考えられる作家達のことである。 雑誌「白樺」に依拠して、キリスト教、トルストイ主義、メーテルランク、ホイットマン、ブレイクなどの影響を受けつつ、人道主義、理想主義、自我・生命の肯定などを旗印に掲げた文学者たちが白樺派に名を連ねる。 この記事では白樺派について解説したい。 白樺派とは? 白樺派の主要な作家と作品 武者小路実篤 志賀直哉 有島武郎 白樺派の特徴 人間性への関心 理想主義 自然主義の影響 白樺派とは? 白樺派とトルストイ: 武者小路実篤・有島武郎・志賀直哉…
たしか「小説の神様」って呼ばれていたはずだよなと思って検索をかけ てみましたら、この時代に「小説の神様」といえば、相沢さんという作家さん の作品となるようで、当方の常識は通用しませんでした。 そういうことで、言葉追加して検索をしてみましたら、やっとこさでヒット することにです。昭和時代にはググるなんてことはできなかったのでありま すが、その時代でありましたら、小説の神様といえば志賀直哉と返ったこ とでありましょう。 本日に検索した「小説の神様 志賀直哉」は2021年に没後50年とあり ました。もうな亡くなって半世紀以上になるのですから、読まれなくなって いても不思議でもないことで。 特に、19…
高峰秀子と作家たち 作者:高峰 秀子 河出書房新社 Amazon もちろん才能があるからなのだけれど、つくづく高峰秀子はすごい。 大女優だから、ということももちろんあるのでしょうが、文豪にこんなに愛されちゃって〜! この本は高峰秀子の文士たちとのつきあいのエッセイや対談(三島由紀夫ってマジで三島由紀夫だな〜w)、そして文章を書くことについてのエッセイを集めたもの。収録されていないそういった文、たくさんあるんだろうな〜。 そして好きな作家はベタ褒めなんだけど、小気味いいから嫌味にならない。 志賀直哉や谷崎に対しての「愛」もすごいけど、短文ながら沢木耕太郎への賞賛がなかなかなものでした。 作家たち…
志賀直哉旧居(現・奈良学園セミナーハウス) 志賀直哉旧居 庭から撮影 どんなたてもの? ・志賀直哉が自ら設計・家族とともに9年間暮らした・『暗夜行路』をここで完成させた・文化人が集まったサンルーム「高畑サロン」 志賀直哉旧居(現・奈良学園セミナーハウス) どんなたてもの? 道のり 見学レポート マップ 2階へ 1階 書斎 お茶室とお茶庭 お風呂場 女中室 キッチン 食堂 サンルーム 夫人の間 直哉の居室 子どもの勉強部屋 裏庭 おわりに 道のり バス停「破石町(わりいしちょう)」からの道のりはこちらで案内しています。 shishi-tatemono.hatenablog.com 見学レポート …
『暗夜行路』志賀直哉|新潮社(新潮文庫)|2024.12.08 読了 人生という大きな主語で語り出すのもなんだけれど、人生とはだいたいにおいて良好という状態がないと感じる。何も感じさせないようなフラットな状態について、おおむね良好と感じることはあっても、すげえハッピーみたい状態ってあまりない。まあまあと呼べるような状態とクソみたいな状態をだいたい行ったり来たりしている。 これは経験譚として語っている。しかも年を重ねるごとにそういう「まあまあ」の状態が少なくなって、クソみたいな状態が結構長く続いているようにも感じる。まあ、それでも人生なんてこんなもんだろ、で生きているわけだけれど、『暗夜行路』を…
♬ 帰り道は遠かった 来たときよりも遠かった 雨が降ってたの 風が吹いてたの わたしの心のなかにだけ あなたは知らない それでいいの いいの (作詞:藤本義一、1968) チコとビーグルスのヒット曲だ。好きだった。 高校の図書館に、本多秋五『物語戦後文学史』があった。大著だった。後年知ったが、書評新聞に長期連載中の記事が逐次刊行されて、三巻本として完結したところで、合本として箱入りの大著がまとまった。それが図書館に入ったらしい。 理解もできぬままに三島由紀夫だの野間宏だのと、戦後文学を読み始めていた高校生だった。また中村真一郎と福永武彦とが母校の先輩だとは承知していた。読んでも理解できぬ部分を…
『下らなく過ごしても一生、苦しんで過ごしても一生だ。苦しんで生々(いきいき)と暮らすべきだ。 志賀直哉『志賀直哉全集第6巻(らくがき三つ)』(岩波書店)』 多感で感受性が強い志賀直哉は、内村鑑三の講義を聴いて感銘を受けて、キリスト教には入信しなかったものの、大きな影響を受けたとあります。 ただ、身内との板挟みとなり、父との軋轢が生じる結果になったといいます。 本人が「品行点が悪かった」と説明している通り、自由奔放に振る舞う少年だったようです。 今で言うところの学級崩壊の先導的な立ち位置だったのかも知れません。 それは、落ち着きがないと評価され、二回の落第に繋がった要因だったようです。 そのエネ…
広津家墓所。谷中霊園。垣内に四代の墓石と墓誌石碑とが肩を寄せ合う。 祖父弘信は久留米藩の儒者の家柄。医術を学んで長﨑にて開業するも、併せて諸外国事情を学び、やがて上京。外交官として朝鮮との国交樹立の現場担当官だった。交渉はこじれて、結果として征韓論を誘発する結果にもなった。明治16年(1983)没。孫の和郎誕生時にはすでに他界していた。 父直人は、尾崎紅葉率いる硯友社の一員たる小説家広津柳浪。明治期屈指の小説名人の一人だ。外国語学校にてドイツ語を学び東大医学部予備門に入学するも、肺病を病んで中退。父の伝手で五代友厚家に見習いとして居候し、農商務省の役人にはなったものの文学好きの駄目官吏で、免職…