ジョルジュ・バタイユは著書「内的体験」のなかで、次のように書いている。 「生の上方にある「天空」は空虚であるが、人間はその空虚に身を委ねるだけの充実した傲慢さを持たない」と。 かれこれ30年以上この意味を考えているけど、いまだに理解できない。そこが理解できないのだから、そのあとに書かれていることは出発点に立つことさえできない。それで日常生活に何か困ることがあるかといえば、とくに何もない。休日の午後に、一人で海辺を歩き空を眺めたりすると、その言葉を思い出すだけだ。バタイユはこう続けていた。 「だから生は空に向かってひれ伏し、眼は地上に釘付けになったままだ」 意味は分らなくてもその通りだと思った。…