(仏)【écriture】 書かれたもの、または書くこと。英語のWritingに相当する。
意味は、現前(present)するものを表象(represent)するものであり、意味を持つそれ自体と差異を図る他体との参照関係が常に必要となる。それ自体が媒介する他体をコントロールできないので、それ自体の意味は、時点のズレである差異化を発生させてしまうものであり、意味を同定させるには反復可能性を持たなければならないと考えた。
言語だけでなく、絵画、シンボル(象徴的事物)、ジェスチャー、音楽などの記号による意味作用を研究。書き言葉に見られるデノテーション(明示性)とコノテーション(暗示性)による意味の二重性に注目した。
レクチュール、パロール、ロゴス中心主義、ジャック・デリダ、脱構築、差延(ディフェランス)、散種、ロラン・バルト、デノテーション、コノテーション、チラリズム
ほんとうにじぶんがその立場になると、かえって書けなくなる。わからないうちは書けるが、わかると書けなくなる。 まるでモリエールにでてくる人物だ。自分の書くことをまず経験してみなければならないが、いくらか経験すると、こんどはそれを書く気がぜんぜんしなくなる。 あたりまえのことだが、まったくおなじ経験をする必要はないのである。おなじ気持になる経験をすればいい。それで共感できるし、場合によっては書くこともできる。 *** 万年筆ばなしのつづき。 krokovski1868.hatenablog.com 万年筆をつうじて、書くのがたのしくなるというのはあるかもしれない。うまくパターンに入れれば、書くスト…
エロティシズム (ちくま学芸文庫) 作者:G・バタイユ 筑摩書房 Amazon 『内的体験』をぼくは1978年の夏に読んだ。大学の講義の最中に。図書館で。ジャズを聴きながら。コピーライターの学校の冷房の効きすぎた、だだっ広い部屋の中で。東北線の急行列車の中で。暑いK市の家で。この本を読むのは、苦行でもあり、安楽でもあった。バタイユは言う。「内的体験とは、赤裸の体験である」と。文字通りぼくは赤裸になって文字を吸い取ることに努力した。 バタイユの本を読むことは読めた。バタイユについて考えることは考えた。そしてそれを書き留めようとすると、その考えは逃げてしまうのだ。これと同じことを文字にした人がぼく…
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パリ国立高等音楽院のエクリチュール科について、日本で得られる情報、また日本語での情報が少ないため、この記事が少しでも役に立てば幸いです。 筆者は2018年から2022年にかけて在学していましたが、最新の情報に関しては音楽院の公式HPをご参照ください。(PC版の記事最下部におすすめ書籍載せてあります)